[本文]

国・地域名:
ドイツ
元記事の言語:
ドイツ語
公開機関:
マックスプランク協会(MPG)
元記事公開日:
2025/07/14
抄訳記事公開日:
2025/08/21

フンボルト理念からの転換:マックスプランク協会が語る科学と社会の新たな関係性

Große Physik und große Verantwortung

本文:

(2025年7月14日付、マックスプランク協会(MPG)の標記発表の概要は以下のとおり)

カイザー・ヴィルヘルム流体研究所は100年前に活動を開始し、今日のマックスプランク協会動力学・自己組織化研究所となった。現在の研究所では、相互に関連する動的システム物理学の基礎的課題を探究している。流体物理学の研究は、新技術への応用可能性から約20年前に再び注目されている。創設期の歴史を振り返ると、基礎研究が航空をはじめとする先駆的技術を推進したことがわかる。その一方で、デュアルユースの高いリスクを伴い、国家社会主義(ナチズム)期には急速に軍事研究へ転用された。

20世紀初頭、空気力学現象は工学における大きな課題だった。鉄鋼業の発展により、それまで不可能であった塔や橋梁が建設されたが、強風には必ずしも耐えられなかった。

ゲッティンゲン大学の応用力学教授ルートヴィッヒ・プラントルは1907年に航空試験所を設立し、これが1918年にカイザー・ヴィルヘルム協会の空気力学試験所となった。さらに1925年にはカイザー・ヴィルヘルム流体研究所を設立した。

プラントルが導入した革新的手法は、流体力学の理論的課題を高度に専門化された試験設備によって解くもので、今日の自動車・航空機製造や橋梁建設にも活用されている。これによりゲッティンゲンは空気力学の中心地となり、科学研究は分業化・高度専門化へと進み、国家・産業・研究の緊密なネットワークが形成された。

フンボルトの理念では、科学は本来、人間としての精神的成長と教養の向上を目的とし、実用的な目的に縛られない自由な営みであった。しかし、やがて科学研究の産業・国家への有用性が重視されるようになり、神学教授で皇帝の科学顧問でもあったアドルフ・フォン・ハルナックは皇帝の支持を得てカイザー・ヴィルヘルム協会を創設した。

国家社会主義政権下、プラントルは党員ではなかったが、研究所は軍事計画に沿って拡張し、魚雷、ロケット、潜水艦、航空機の開発に流体物理学が利用された。戦後、航空研究は連合国により禁止されたが、それ以外は1948年に新設のマックスプランク協会に引き継がれ、乱流研究(後のカオス理論)、分子間相互作用、原子・分子物理学、反応速度論、航空音響学など幅広い分野で研究が進められた。その後、細胞生物学、顆粒、乱流から雲物理、公共交通まで、多様な動力学と自己組織化研究へと展開し、2004年に現名称へ改称された。

2010年には新風洞が稼働し、世界的に唯一の大規模装置を備える機関となった。空気流の挙動解明により風力発電施設群の効率向上を目指す研究も行われている。プラントルは1926年に既に「風力利用のための研究・試験施設」構想を提示しており、風力発電技術は1980年代になって商業化された。プラントルの先見的な構想は、技術発展の方向が政治判断によって定まり、基礎研究がその可能性を示し将来像を描く役割を果たし得ることを示している。

[DW編集局]